高崎 晃(たかさき あきら、1961年2月22日 - )は、大阪市東住吉区出身のミュージシャン、ギタリスト。明治大学付属中野高等学校定時制卒(大阪府立藤井寺高等学校から編入)。 ヘヴィメタルバンド・LOUDNESSのギターを担当している。 愛称は「タッカン」。アイドル的なロックバンド・レイジー時代か 24キロバイト (3,175 語) - 2021年10月1日 (金) 14:07 |
LOUDNESSのギタリスト、高崎晃(Photo by Yulia Shur)
40周年イヤーのLOUDNESS。2021年の最後を飾るEX THEATER ROPPONGIでの二夜連続ライブ<Ampan Night><Dragon Night>も発表され、コロナ禍を経ていよいよ彼らが本格的に動き出す!というわけで、ここでは以前Rolling Stone Japanに掲載した高崎晃(Gt)のインタビューをお届けする。
【画像を見る】1985年5月、全米ツアー中のシカゴでのLOUDNESS
16歳でLAZYのギタリストとしてプロデビュー。1981年結成のLOUDNESSでは、日本でヘヴィメタルという音楽を牽引しただけでなく、アメリカのメジャー・レーベルのアトランティックと契約して、海外進出も果たし、アルバム『THUNDER IN THE EAST』を全米74位、『LIGHTNING STRIKES』を全米64位にチャートインさせ、モトリー・クルーとともに全米ツアーを回り、日本人として初めてマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立ち、AC/DCとツアーしたり、自らのツアーのオープニングにポイズン、シンデレラを起用したりするなど、全米、ヨーロッパを股にかけてのワールドワイドな活動をしてきた。2010年代以降も海外からのラブコールが絶えず、再び海外でのツアー、フェス出演を活発化してきたLOUDNESS。ヘヴィメタルの黎明期も、80年代の全世界的なメタル全盛時代も、今の海外のシーンもすべて見てきた高崎晃に、ヘヴィメタルについて語っていただいた。
ー高崎さんのロックの入り口は何でしたか?
高崎 小学校6年の時に聴いたレッド・ツェッペリンの2ndアルバム、ディープ・パープルの『MACHINE HEAD』。あと、クリームがちょうど解散した後で、ライブ・アルバムを出したんです。そのぐらいがロックの入り口かな。俺には姉と兄が5つ、7つ上でいて。小学校高学年の時からそういう音楽が普通に家の中で流れてる環境で育ったから、ちょっと早かったんですよ。当時は来日ラッシュで、レッド・ツェッペリンも2回来たし、ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロード、シカゴとか、いろんな外タレが来てて。うちの兄弟はほとんどのライブに行ってたので、家にはコンサートのパンフレットもあったんです。
ー日本の音楽も聴いていました?
高崎 最初は吉田拓郎さんが好きで。それからチューリップとかに行って。中学生の時はバンドでキャロルとか好きで演奏してましたよ。
ーギターのある音楽が好きだったんですね。
高崎 まずエリック・クラプトンを好きになって、そこからディープ・パープルのリッチー・*モアになって、ジミー・ペイジですね。一番スタンダードな流れですよ(笑)。
ーヘヴィメタルを意識したのはどこからですか?
高崎 ヘヴィメタルというと、81年ぐらいからの、いわゆるアイアン・メイデン、デフ・レパード、サクソンとか、そういうイギリスから出てきた俺らと同世代のアーティストたちで、いわゆるメタルの中でもニューウェイブな感じになりますよね。
ーNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)ですね。
高崎 伊藤政則さんがよう言うてましたよね。LAZYの最後の頃、80年12月に出した『宇宙船地球号』で、LAZYも「ヘヴィメタル宣言」という風にやって、自分たちで曲も作り出して、歌詞の世界はまだアイドルから脱却できてない感じはあったと思うんだけど、サウンドはだいぶハードで、自分らの理想としてたものにだいぶ近づくことができたんです。けど、ヘヴィメタルやるぞと言ってから3カ月ぐらいで、LAZYは解散しちゃったんですよね。ただ、解散して数カ月後にはもうLOUDNESSを立ち上げてて。ちょうど世界的にも、イギリスからもアメリカからも、俺らと同世代のアーティストがたくさん育ってきてたんですよね。たぶん俺らと同じで、ツェッペリンやディープ・パープルを聴いてきた連中らが、20歳ぐらいになって出てきてたんやと思うんですよ。それが後にアメリカではLAメタルになっていったりするんです。だから、ヘヴィメタルっていうワードで展開していったのは、80年代になってからじゃないのかな。
10/17(日) 10:45配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7eeb7e4a1cb59f8b481c57f2b945792b3cf1be0?page=1
(出典 i.imgur.com)
>>1
タッカン!
ラウドネス最高
赤いバンダナはアメリカではヤバいって二井原の本で知った
LONELY PLAYER
ANGEL DUST
WE COULD BE TOGETHER
SHADOWS OF WAR
DANGER OF LOVE
がすこ(´・ω・`)
ラウドネスは3rdの魔界典章から良くなったね
ちゃら~へっちゃら~
ってレイジーの人だったんだなw
実家の風呂屋へ行った記憶がある
シャドウズオブウォーまでは
本当に熱心に聞いてた
この歳でも超絶プレーやってるのが凄い
普通めんどくさくて手数減る
レイジーはよくドリームランドに来てたな
見に行けばよかった
ソルジャーオブフォーチュンが一番いい
高崎晃は練習熱心で研究熱心!!
渡辺かつみ(談)
ブリティッシュ系がルーツなのか
てっきりエドワードバンヘイレンかと思ってた
ピンクレディー 松田聖子 宇多田ヒカルなど、妙な資金を持ち込んで全米進出を謀るも、瞬時に討ち死に。
全米チャートで、初の米国籍以外の1位の坂本九さんは別格として、徒手空拳で実力だけで日本では不人気の、ヘビメタでアメリカでチャート最高20位。 だから、30年以上経過してもアメリカのプロモーターから、引き合いがある凄いバンド。 コロナのせいで、短期就労ビサが薄給されないのが、とても残念。
80年代はメタルに限らずいい音楽いっぱいの時代だったなあ
今時16才でプロデビューって遅いよな
結局、世界的に愛される音楽になったのは
影山ヒロノブの方だよねw
>>22
俺もそう思う(笑)
関西メタルシーンってのがあったな。ラウドが筆頭で、シェイカー、マグナム、マリノ、ラジャスとか。
関東勢が追従というか対抗で、アンセム、ブリザードとか。雑誌のロッキンfなんかはこういうバンドで
埋め尽くされてたなw なつい。。
小4くらいの時に友達の姉ちゃん(7つ上)がレイジーの大ファンだったんだがラウドネスになってからは全く聴かなくなった
んでレイジーってw とか言ってた俺らはラウドネスを聴くようになって
あの姉ちゃんはなんでレイジー好きだったんだろ。ルックスそんなんでもなかったろ
なんでVOWWOWの方は進出諦めちゃったんだろ
>>30
ボーカルが教師になる夢を諦めたくないって
レイジーのアイドル路線があったせいでハードロックファンには寄り付きにくかった
最近またラウドネス聞き始めた
ジャパメタは80年代半ばくらいまでだな
ボンジョビがスリッペリーで大ブレイクする頃に向こうのシーンについていけなくなった気がする
一度も解散してないんだから凄いわ
プロレスとアニメとヘビメタは何故か親和性が高いな
80年代…メタルという音楽が一番カネになった、メタラーにとっては一番幸せな時期だったな。
マイク・ヴェセーラの頃の路線で英語が完璧なヴォーカルとドラムがもう少し強かったらもっと上に行けた
樋口さんの人柄は好きだったけワンバスにこだわりすぎてリズムが単調でタッカンのギターに負けてたから
92年の山田雅樹が加入した「ラウドネス」は好き。80年代メタルを充分消化(昇華)して
さらにヘヴィな音に寄せた。横尾忠則のジャケットワークもなかなか様式的でひとつの世界を作ってる。
結局、
影山≫高崎
だったなあ
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