スウィング・アウト・シスター(Swing Out Sister)は、イギリスのクロスオーバー、ポップ系男女デュオ。ヒットを出した当初はトリオだった。1986年の「ブレイクアウト」(Breakout)や「トワイライト・ワールド」などのヒット曲で知られている。音楽ジャンルは、シンセポップ,ブルー・アイド 37キロバイト (4,555 語) - 2021年7月5日 (月) 17:24 |
スウィング・アウト・シスター 日本での成功について語る
2022/05/15 21:02掲載 amass
https://amass.jp/157563/
スウィング・アウト・シスター(Swing Out Sister)は、サイトSuperDeluxeEditionのインタビューの中で、日本での成功について話しています。
Q: ロックンロールの決まり文句として、「big in Japan」というのがありますが、あなたたちの場合は実際にそうなっていますね。どうしてそうなったのでしょうか?
コリーン・ドリュリー:
「日本に行きたかった。以前、ファッションデザイナーとして働いていたときに、一度行ったことがあったの。だから、音楽を始めてすぐに、レコード会社の国際部門に、いつ日本に行けるのか聞いたんです。彼らは、まずイギリスでヒット作を出さないとダメだと言っていた。イギリスでの活動が始まると、すぐに“日本へ行ける?”って言って、彼らにずっと尋ね続けたんです。日本に着いたとき、本当に驚きました。50年代のイギリスを訪れたような感覚だった。みんなとても礼儀正しくて、尊敬の念を抱いていました。アンディがウェザー・リポートに影響を受けていることなど、私たちの曲の引用をすべて理解してくれていた。最初のインタビューでは、彼は私にこう言いました。“あなたはノッティンガム出身ですが、DHローレンスやアラン・シリトーの作品と比較してどうですか”。いかにも日本らしいというか、なんでこんな質問を思いつくんだろう!?」
アンディ・コーネル:
「素晴らしい質問だね。とてもレフトフィールドだった。次に来た人は、本を持っていて、この本を開いてくださいと言うんだ。そして、ある言葉に指を置いて、その言葉があなたにとってどういう意味を持つか話してくださいと言うだよ(笑)。なるほど! そんな感じで、飽きないんだよ」
コリーン:
「私たちは、世界の目覚まし時計や小さなカセットプレーヤーなど、たくさんのガジェットを持って帰ってきました」
アンディ:
「持論があるんだ。当時、1980年代後半から1990年代前半にかけて、日本は変わりつつあった。まだ男性中心の社会で、ビジネス的にも繁栄していた。若いキャリアウーマンたちは、富を持つ権威ある地位に就き始めていたけど、彼女たちは結婚はしていなかった。長く独身生活を続けていた。自由に使える収入があり、夫もいない自分は何を好きになればいいのか、という風潮があった。そこに僕たちが入ってきた。ある日本人の女の子は、コリーンに“アンディよりちょっと背が高いんですね”と尋ねた時、恥ずかしそうに笑い出した。彼らは、コリーンが主導権を握っていて、僕より少し背が高く、とてもスタイリッシュだと見ていたんだ。それはライフスタイルだった。それを彼女たちは受け入れたんだ。洗練されているように見えるからこそ、彼女たちは僕らの音楽を気に入ったんだ。今にして思えば、素晴らしい計画のように見えるけど、そんなことはなかったんだ」
コリーン:
「そのように考えたことはなかった。1950年代のイギリスのボーラーハット旅団に少し似ていましたが、これは1980年代の日本です。テクノロジーやクレイジーなガジェットやファッションが日本からイギリスにやってきましたが、実は、日本で当たり前だったことが、数十年前のイギリスとよく似ているのですね」
アンディ:
「彼らは点と点を結んでいるんだよ。彼らのためにレコードを作るなら、理解してくれるから、リファレンスを入れてもいいと思うんだ。イギリスでは、そういう風には思わないし、確かに僕たちの場合はそうではない。だから“失うからやらない”と思う。でも、日本では、どんな小さなことでも(音楽的な)参考にすれば、すぐに伝わるとわかっているんだ。それがわかっているから、やる気にもなる。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
https://superdeluxeedition.com/wp-content/uploads/2012/09/Swing+Out+Sister+png592s.png
https://superdeluxeedition.com/interview/swing-out-sister-interview/
>>1
ドリカムはスイングアウトシスターを真似たよね。
>>20
中村正人が言ったとか言わないとか。
本当のところはどうなんだろうね、当時はパクリにしか見えなかったが。
>>28
中村は日本版スイングアウトシスターを作る事が目標だったって公言してるっしょ
自分も当時バンド組んでた友人にドリカムのファーストCDのジャケット見せられて
またスイング~の日本版かよっ、何組目だよって言ったの覚えてる
あと桐島版ミカバンドの曲boy meets girlももろ影響受けてるよね
子供の頃にCMで聴いた曲を
ネット使えるようになってやっと見つけた
CM用に作られた曲と知って驚いた
フルで作ってくれー
一曲だけやろ?
デビュー当時から渋谷陽一が推してた事はあまり知られてない事実
今日本に来ても持ち帰るものは何もない
中央フリーウェイを何故かカバーしてたよな
Breakoutのイントロめっちゃ好き
>>10
トワイライトワールドは東京駅のアナウンス
日本マーキュリーを支えたグループだった
まだやってんだ
Breakout聞き倒したな
トゥイステッドシスターのスレを芸スポで初めて見た
何で今更
>>12
惜しい
>>12
ジャンル結構違うが名前紛らわしいよね
>>1
スウィングアウトシスターでスレの勢いが1600以上もあることに感心した
あなたにいてほしい
ドラマの歌で知ってララの歌が好きになってそれに入ってたブレイクアウトのゆっくりバージョンが大好きになった
あれっ?ブレイクアウトのときは3人組だったような?
>>23
ドラムが元マガジンというバンドの人だった
が、実際にレコーディングで叩いてたのは屋敷豪太
これマジ
>>25
屋敷豪太ってもっと評価されててもいいね
若かった時によく聞いた音楽聴くと元気になる
最近悲しいこと多いから特にね
SOSは単純に大人びてたから受けたんだろ
恋を大人っぽく曲にしているバンドはなかなかなかった
今でも誰かを好きだった頃を懐かしむときたまに聴く
コリーンもそんなにうまくないのがそんな音楽に合ってて良い
YoutubeにあるBreakoutのMVに終始色味がないのは何でなんだ
バブル時代なイメージ
まあ一番日本が調子こいてた時代だったから外国から見ても華やかで面白かっただろうな
何より稼げただろうし
>>38
日本でそんなにウケてたかね?アルバム2枚くらいスマッシュヒットしてたくらいのイメージ
スタカンとかシャーデーを分かりやすくした感じ
駅のアナウンスが入ってる曲あったね
懐かしい、ドライブの時聴きまくってたな
ところで一発屋って言ってる人がいるけど一発てどの曲
ブレイクアウト?、サレンダー?、ララミーンズ・・?
ドラマ真昼の月の主題歌だったよね
俺の友達がユーリズミックスだと勘違いしてたがしょうがないと思って教えなかった
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