AJICO(アジコ)は、UAと元BLANKEY JET CITYの浅井健一を中心とした男女4人で構成される日本のロックバンド。ビクターエンタテインメント傘下のレーベル・SPEEDSTAR RECORDS所属。 2000年に結成され、2001年に活動休止した。 14キロバイト (795 語) - 2021年6月13日 (日) 14:56 |
UAと浅井健一、2人の変わらない関係。伝説のバンド「AJICO」の“なれ初め”(前編)
6/18(金) 10:32 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
https://news.yahoo.co.jp/articles/5da2463593020ed5c6a352ab3bceeb6917cc0f58
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
◆ラジオからUAの歌声が聞こえてきて
―浅井さんとUAさんの“なれ初め”は?
UA:私は恵比寿にあった「MILK」というクラブに、ブランキーのシークレットライブを見に行ったと記憶していて。裏であいさつぐらいはしたのかな。親友がブランキーの大ファンだったので、曲はすごく聴いていましたね。
浅井:オレはUAの歌がラジオから聞こえてきたときに、かっこいいなぁと思ってた。そして、自分の中ですごくしっとりとした音楽が生まれ、この人に歌ってほしいな……と。そういうことができるのかもわからず、迷いながら連絡を取ってもらって。
UA:私の3枚目のアルバム『turbo』に収録した『午後』と『ストロベリータイム』の2曲を、ベンジーが手がけてくれました。ほかの曲は打ち込み主体で、ポップでありながらダビーな音作りをしていたので、その2曲だけが異色。それがアルバムの中でドラマになっていた。2曲同じ日にレコーディングしたんだけど、バンドのメンバーで丸く座りその場で録音して。それがすごく感動的だった。
浅井:オレはうれしかった。ブランキー以外で自分が作った曲を一流のボーカリストに歌ってもらって、というのが初めてだったから。
―AJICO結成の経緯は?
UA:『turbo』は1999年10月にリリースされたのですが、その年の夏、初めて開催されたRISING SUN ROCK FESTIVALに、ブランキーも私も出演しました。朝まで打ち上げをして、楽屋の屋根に登ってまさにライジングサン! 日の出をみんなで見て。すごくキレイだった。
浅井:ああ、懐かしいね。
UA:そのあとかな、留守電に「バンドやろう」とベンジーからメッセージが残っていて。覚えてる?
浅井:留守電だったかは定かじゃないけど、誘ったのはもちろん覚えとるよ。最高のバンドを作ろうと思った。
後編は6月下旬公開予定
(文・中津海麻子)
PROFILE
AJICO
UA: vocal、浅井健一: guitar, vocal、TOKIE: bass、椎野恭一: drums。2000年、BLANKEY JET CITYを解散した直後の浅井健一とUAが中心に結成。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
>>1
浅井さんってこんなに丁寧に答えてくれるんだ?
気にくわないインタビュアーぶん殴ったりとか、そんなイメージだった
◆「バンドやりに東京行ってくるわ」で、親戚中が大騒ぎ
――24歳で上京します。きっかけは?
浅井:地元の名古屋でずっとバンドはやっていたんだけど、なかなか動員数が増えない。そのまま名古屋でやり続けるのか、東京に行くべきか……。ずっと迷ってたんだけど、賭けに出ようと。家出して東京に向かいました。
UA:それって家出っていうの?
浅井:書き置きしてきたから。「バンドやりに東京行ってくるわ」って。そしたら親戚中が大騒ぎになったらしくて。「健ちゃんが突然おらんくなった!」って。もう20歳過ぎてたから、家出というより蒸発?(笑)
成増に住んでいた友達の家に居候しながら、金はいいけど体に悪いバイトを1カ月間して35万円ぐらい稼ぎ、そのお金で東高円寺にアパートを借りました。で、バンドを組んだ。それがBLANKEY JET CITYでした。
UA:ほかの2人も東京にいたの?
浅井:いない。照ちゃん(ベースの照井利幸さん)が名古屋でボロボロになってるっていううわさが流れてきまして。「どうせボロボロになるなら東京でいっぺん賭けてからボロボロにならない?」って迎えに行った。
UA:名古屋まで?
浅井:そう。友達から2万円で買った、ハンドルを回すとクラクションが鳴っちゃうスカイラインJAPANに乗って。ヒューズを抜いて鳴らないようにしてさ(笑)。それで、照ちゃんと東高円寺のアパートで一緒に暮らし始めた。照ちゃんがベース、オレがギター・ボーカル。ドラムは、東京のパンクバンドでベースをやっていたゴーストっていう人に無理やりやってもらって。
UA:初代ドラマーは違う人だったんだ。
浅井:相当怖い人なんだろうと思っていたら、すごくいい人で。実は当時、達也(ドラムの中村達也さん)も近所に住んでいて一緒に遊んだり飲んだりしてたんだけど、いろんなバンドから引っ張りだこの達也は別のバンドで叩(たた)いてた。あるときクラブチッタのライブでオレらのバンドと達也のバンドが一緒に演奏することがあり、そのとき達也から「すごいな、お前ら」と言われたんです。そして「ベンジー(浅井さんの愛称)、もったいないから『イカ天』に出ろ」と。
でも、オレは「イカ天」嫌いだったんで。無名のバンドを発掘するっていうコンセプトは素晴らしい番組だと思っていたんですが、軽いノリのおふざけバンドがほとんどだった印象で。だから興味がなかった。そうこうしているうちに達也が「オレに叩かせろ!」と言ってくれて、正式なメンバーに。レコード会社にデモテープ送ったりはしたものの、なかなか評価されなかった。じゃあやっぱり「イカ天」に出ようということになって。
―5週勝ち抜き、その後メジャーデビュー。生活は変わりましたか?
浅井:激変しましたね。毎日バイトして日曜だけバンドの練習をする日々から、バイトしなくていい、毎日バンドやっていいという生活になった。「イカ天」には感謝しかないですね。あと、「家出した健ちゃんがテレビに出とるがや!」と親戚中が盛り上がってたらしい(笑)。
UA:変なニュースじゃなくてよかったね(笑)。
再結成ライブ行ったけど最高だった
アンコールでシャーベッツの水歌うしUAの情熱も歌うし2時間みっちりやってくれた
客席も拍手だけど盛り上がりすごかった
フジロック2回目ブランキー出てた時、UA普通に観客で見かけたから本当にその時からファンかもな
当時JWAVEの番組でピストン西沢がブランキーをメッチャいじってて
AJICOがゲストの時ベンジーが出なかったんだよね
出てたらどんなことになったんだかw
伝説のバンドだらけだな
ajicoは奇跡だよ
そしたらベンジーあたしをグレッチで殴って
UAって旦那が蜂に刺されてアナフィラキシーショックになってるのに
ホメオパシーで治したとか自慢してた人でしょ
>>16
そりゃ自慢していい
ホメオパシーじゃなく旦那自身の治癒力をだけど
UAの息子は歌ド下手だったな
ラジオが絶妙な面白さでにわかファンになってもた
今月で終わりなのが悲しい
解説前のAJICOは奇跡のバンド
復活1発目はちょっと微妙だけど
1枚しか出さなかったからか、マジで名盤
UAじゃなくLiSAだったら間違いなくクソバンドだと思う
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