藤井フミヤ


藤井 フミヤ(ふじい フミヤ、本名及び旧芸名:藤井 郁弥(読み同じ)、1962年(昭和37年)7月11日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優・タレント。元チェッカーズのリードボーカル。福岡県久留米市出身。所属事務所はヤマハ音楽振興会、スリースタープロ(共にチェッカーズ時代)を経て、現在は個人事務所の株式会社FFM。…
60キロバイト (4,760 語) - 2023年5月6日 (土) 15:46
高杢 禎彦(たかもく よしひこ、1962年〈昭和37年〉9月9日 - )は、日本のタレント、俳優、元チェッカーズのサイドボーカル。通称はモク。福岡県久留米市出身。私立柳川高等学校卒業。血液型はA型。現在の所属事務所は地元福岡県にあるフリーダム。 理容室を自営していた夫婦の下に出生。兄弟は他に姉が1…
17キロバイト (2,213 語) - 2023年5月7日 (日) 09:02
何年か前に運送会社で働いてるって記事見ましたが旅館経営されてるんですね。暴露本出しちゃうとメディアもそれ一辺倒で飽きられるし扱いづらいでしょうね。それぞれの道で頑張ってるんだし今はこれで良かったのでは。

1 征夷大将軍 ★ :2023/05/10(水) 06:36:37.19ID:PLbXVn6z9
『ギザギザハートの子守唄』でデビューしたのは'83年9月21日。今年はチェッカーズにとって40周年にあたる。

「'92年に解散してから再結成を願う声はありますが、実現していません。解散の原因が藤井フミヤさんと高杢禎彦さんの不仲だといわれていますし、ドラム担当の徳永善也さんが'04年に亡くなっています。今はそれぞれ個人で音楽活動をしています」(音楽誌ライター、以下同)

各メンバーの近況は
 '21年にレコード会社が『チェッカーズ公式YouTubeチャンネル』を開設。'22年には限定生産の『チェッカーズ 7インチBOX』が発売された。

「フミヤさんは精力的にライブを行っていますね。初期のヒット曲は、それらを手がけた作曲家の芹澤廣明さんと絶縁状態で長らく歌いませんでしたが、'20年に和解してから解禁に。昨年は武道館で自身の還暦を祝うコンサートを開催し、チェッカーズ時代の曲も披露しました。9月からデビュー40周年を記念して全国ツアーが始まります」

 鶴久政治はソロ活動を行いながらアイドルグループ『STU48』への楽曲提供もしている。武内享、大土井裕二、藤井尚之はバンド『アブラーズ』として活動している。だが、4月19日に突然、大土井が体調不良で入院。5月3日に退院して、20日のライブで復帰を目指しているが、大丈夫なのか。大土井の兄に聞いてみた。

「入院については、弟から連絡がありましたが、詳しい病状は聞いていません。“たいしたことないから心配するな”と言っていましたね」

 大土井の事務所によると、現在は体力づくりに励んでおり、回復次第、『週刊女性』の取材も受けてくれるとのこと。

「'18年に行われたアブラーズのライブには、フミヤさんが“ミッシェル藤井”名義で参加しました。『涙のリクエスト』を歌っていましたね。40周年でまた顔合わせができればいいんですが、全員が集まるのは難しいでしょう」(スポーツ紙記者)

藤井フミヤを批判した高杢は今
 高杢は'03年に暴露本を出版し、フミヤとの対立が決定的に。徳永さんの葬儀で高杢と鶴久が発起人から外されたことで、確執が深まった。

「暴露本では、フミヤさんが芹澤さんの曲を歌わなくなったのは、自分のオリジナル曲で楽曲印税が欲しいからだと強く批判していました。高杢さんは解散後に俳優としても活動していましたが、'02年に胃がんが見つかり、大手術。以降は闘病をテーマにした講演会などに登壇していましたが、現在は芸能活動からは離れているようです」(同・スポーツ紙記者)

 高杢は埼玉県にある妻の実家の旅館を共同経営者として手伝っている。近況を聞くために旅館に取材を申し入れたが、返答はなかった。そこで現地を訪ねてみた。

「高杢さんはスタッフとして働いていて、お客さんの送迎もやっていますよ。地元で芸能活動はしていませんね。元チェッカーズということも言いませんし、すっかり一般人として暮らしています」(近所の住民)

 旅館の外観は古びているが、内装はリフォームされている。食事の提供はなく、素泊まりで1泊7000円だった。

「以前は食事と温泉でにぎわっていましたが、今は近くの免許センター利用者や工事現場の関係者が泊まるぐらいです。コロナ禍で大変だったみたいですが、夫婦でほそぼそと経営しているようです」(別の住民)

 福岡で仲のいい仲間で結成したバンドだったが、40年後の今ではハートはギザギザ。もう一度チェッカーズを見たいという“涙のリクエスト”は届かないのか……。

週刊女性PRIME
https://www.jprime.jp/articles/-/27802
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藤井 フミヤ(ふじい フミヤ、本名及び旧芸名:藤井 郁弥(読み同じ)、1962年(昭和37年)7月11日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優・タレント。元チェッカーズのリードボーカル。福岡県久留米市出身。所属事務所はヤマハ音楽振興会、スリースタープロ(共にチェッカーズ時代)を経て、現在は個人事務所の株式会社FFM。…
60キロバイト (4,806 語) - 2022年11月4日 (金) 16:51
鶴久さんの作曲はいいですよね。『ミセスマーメイド』がすごく好きでした。

1 湛然 ★ :2022/12/04(日) 06:14:05.22ID:C67L9RP19
藤井フミヤ“チェッカーズの楽曲”が若者に聴かれていることに「やっぱり昭和歌謡なんですよね」
11/30(水) 7:20 TOKYO FM+
https://news.yahoo.co.jp/articles/86110d90cf92f1318590c19907187d7383948d90?page=2
ジョージ・ウィリアムズ、藤井フミヤさん、安田レイ

(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)



ジョージ・ウィリアムズ、安田レイがパーソナリティをつとめるTOKYO FMの生放送ラジオ番組「JA全農 COUNTDOWN JAPAN」(毎週土曜 13:00~13:55)。11月19日(土)の放送は、藤井フミヤさんが登場。初めて買ったレコードや憧れの人のこと、さらには11月2日(水)にリリースしたニューアルバム『水色と空色』について語ってくれました。

◆藤井フミヤを音楽の道へと進ませた伝説のライブ

(※中略)

◆最新アルバムでは12人の主人公を熱唱

――ニューアルバム『水色と空色』は、オリジナルアルバムとしては約3年ぶりです。

藤井:(前のアルバムは)コロナ前に出しましたが、このアルバムはコロナ禍に作っていましたね。

――この3年間は、どんな3年間でした?

藤井:僕らの職業は完全に仕事がなくなって、当然スタッフも照明も舞台周りも音響も……そんななか、みんながYouTubeとかを通して、家でギターを弾いたり、歌ったりし始めて。

そのときに、僕もみんなを盛り上げようと思って、チェッカーズの昭和時代の曲をギター1本で歌ったりして、そこから決心して、チェッカーズをまた歌うことにしたんですよ。コロナ禍によって、決心したことがいっぱいあったんですよね。

――チェッカーズの曲を歌うのは本当に久しぶりだったんですよね?

藤井:そうですね、特に(チェッカーズの)昭和の時代の曲というか、メンバーのオリジナルじゃない曲はずっと歌ってこなかったんですよ。あまりにもインパクトがありすぎて、自分が今やっている音楽と交わらない感じがして。

でも、この歳になって歌ってみたら逆に新鮮で。また、今は1980年代ブームがあって、YouTubeやTikTokとか、いろいろなところでチェッカーズの曲が若者に聴かれたりして。ちょうどいいタイミングだし、“(もう一度)歌ってみようかな”みたいな(笑)。

――チェッカーズの曲が再評価されているのは、どんな気持ちですか?

藤井:やっぱり昭和歌謡なんですよね。他の国にはない独特のマイナーエイトビート、あれがすごく80年代っぽくて、それが今の日本の音楽シーンにあると、逆に新鮮な感じがしますよね。「ギザギザハートの子守唄」とか(笑)。

――『水色と空色』は、どんなアルバムになりましたか?

藤井:今回は“藤井フミヤ”というアーティストのアルバムというよりは、12曲入っているんですけど、僕が12人の恋愛の主人公を演じている、という感じですね。

10代の気持ちで歌ったり、20代の気持ちで歌ったり、そうした主人公を演じて、12人の短編恋愛小説を歌にしたような感じです。全体的に“ラブソングのポップアルバムを作りたい”というのがありましたね。

――どうしてそれを作りたかったんですか?

藤井:例えば、昔は藤井フミヤを聴くためには、CDを買わないと聴けなかったんですよ。でも、今のようなサ*ク時代になると“聴こうかな”と思ったらすぐにでも聴ける。だから、等身大の藤井フミヤというよりは、いろいろな年代の歌を歌おうと思って。

声だけだったら、年齢は関係ないじゃないですか。藤井フミヤってわからなければ、何歳のボーカリストかわからない。だから、10代、20代、30代、40代、いろいろな年代のラブソングを歌おうと思って、今回のアルバムを作りました。

(TOKYO FM「JA全農 COUNTDOWN JAPAN」2022年11月19日(土)放送より)

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有吉 弘行(ありよし ひろいき、1974年〈昭和49年〉5月31日 - )は、太田プロダクションに所属する日本のお笑いタレント・司会者。妻は夏目三久。 コンビ『猿岩石』の元ボケ・ネタ作りを担当。広島県安芸郡熊野町中溝出身。身長172cm・体重62kg、血液型A型。広島県観光大使、東京銀座の広島県ア
77キロバイト (11,547 語) - 2022年5月17日 (火) 07:23

(出典 i.ytimg.com)


見てなかった。藤井フミヤさんが、生で演奏してくれたなんて貴重ですね。そりゃあ感動でしょう。

1 Anonymous ★ :2022/05/27(金) 15:47:12.71

5/27(金) 15:21
https://news.yahoo.co.jp/articles/2419471c60490d42a2c28fb6175a65a6f59b3883

 26日にTBS系で放送された「櫻井・有吉THE夜会」では、有吉弘行の誕生日SPで、藤井フミヤ・藤井尚之が猿岩石の大ヒット曲「白い雲のように」を生演奏。歌声に被るように、有吉と上島竜兵さんの写真も紹介された。

 この日の「夜会」は、有吉の誕生日SP。芸人仲間やプライベートでも仲がいい芸能人らが集まり、有吉の誕生日を盛大に祝った。

 そのラストに、櫻井翔が大物ゲストがお祝いにかけつけたと紹介。幕が降りると、そこにいたのは藤井フミヤと藤井尚之のF-BLOODだった。

 2人は有吉が猿岩石時代の26年前に「白い雲のように」を作詩作曲。空前の大ヒットとなった。

 突然の2人の登場に有吉も驚がく。フミヤとは20年ぶり以上、尚之とは初対面とあって「ええっ!」というと言葉が出てこない。フミヤが「誕生日に俺たちを呼べるぐらい大きい芸人になったんだね」というと有吉も恐縮しきりだった。

 そして2人はギターの生演奏で「白い雲のように」を有吉の前で歌ってみせた。感激の表情で歌に聴き入る有吉だったが、画面ではこれまでの有吉の軌跡が写真で紹介。その中にダチョウ倶楽部の上島竜兵さんと写る1枚もあった。

 聞き終わった有吉は「いやぁ、最高。カッコ良かった。わざわざすいません」と興奮冷めやらない表情だった。

 ネットでも「白い雲のように」は話題に。「白い雲のように流れてる中、上島竜兵と写ってる写真でたのはちょっとグッときた」「チラッと竜兵さんも映ってて、良き番組でした」「上島さんとのお写真。。そして白い雲のように口ずさむ有吉さん。感慨深い」「感動している有吉さんの表情、翔くんの涙、上島さんとのお写真…泣いた」などの声が上がっていた。


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